2016年02月 一覧

兄弟の様な猫の思い出とペットの飼い方

Yさんと一緒に暮らすことになった猫のマリの奇跡の話です。

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幼稚園に入ったころ、一匹の迷い猫が家に入ってきました。
親に頼んで飼う事にしました。メスの三毛猫でした。
数か月後に5匹ほどの子供を産みました。
子供ながらに子猫の愛らしさに引き付けられました。
段ボールで猫の家を作って、そこで親猫が子供を育てられるようにしました。
3カ月もすると子猫たちも大きくなり、家の中を駆け回ります。さすがに手に負えなくなり、一匹を残して知り合いにもらってもらう事としました。
選ぶのに心が痛みましたが、愛嬌のある白黒の一匹を家に残すことにしました。
これが、長年心を通わして一緒に暮らすことになった「マリ」という雌猫です。
他の子猫たちは無事知り合いにもらわれていきました。

親猫が家に来てから1年後、隣の家が火事になりました。
近くの人が集まって早期に消火をしたので、自分の家は被害が無くホッとしたのですが、親猫が見当たらなくなりました。
逃げてしまったのだろうと家族と話をしていました。
子猫のマリは寂しそうでしたが、家族に可愛がられて元気になっていきました。
家にいるときは近寄ってきて遊んでほしいというしぐさをしたり、何か食べ物をくれという催促をしたりといつも一緒でした。
気持ちが通じているという実感があり、動物を大事にするという事は命を大事にするといことも学びました。

自分が小学5年生になった時、引っ越すことになりました。
同じ市内なのですが15キロくらいは離れているところでした。
猫は家に付くと聞いていたので、引越しの前の日からかごに入れて、一緒に連れて行く準備をしていました。猫は不安そうにしていました。
引越しの当日ちょっと目を離した隙に、かごから飛び出して見当たらなくなりました。
出発の時間まで必死に探したのですが、見当たらずあきらめておいていくことになりました。
移動の車の中で大泣きした覚えがあります。
引越し先の家の生活に慣れたときでも、家族でマリはどうしているんだろうと話題がよく出てました。

2カ月ほどたったとき、以前の家の隣の人から前の家にマリが住み着いているようだと連絡がありました。
その次の日曜日に家族で前の家に行き、探し回ると物置の中に鳴き声がしました。
大好きな餌を見せて近くまでこさせて、かごに入れました。
久々の再会に家族も猫も興奮しました。新しい家に連れ帰ったのですが、慣れない家からいなくなるのでは心配をしたので、かごに暫く入れて餌を上げ続けました。
汚れてガリガリに痩せていたのですが、次第に元気になり家にも慣れてきました。
籠から出しても、家から出してもちゃんと戻るようになりホッとしました。
家族がそろったという気がしてました。

自分が中学、高校に上がるときもいつも一緒でいつもじゃれあって遊んでいました。
まるで仲の良い兄弟といわれても納得していました。
大学に合格して家を出る事となりました。
いざ出発の日その猫は姿を見せませんでした。
時折帰省したときは寄ってきて甘えてくるのが可愛くて仕方ありませんでした。

4年たって、もうすぐ卒業という時に数日の休みがとれて家に帰ってきたとき、その猫は座布団に横になり大きく苦しそうに呼吸をしていました。
どうも老衰であと何日も持たないという事で、食事もとらず寝たきりになっていました。
頭をなでると私に気づいたようで小さな声で鳴き、甘えるように指をかんできました。
もう力のない顎で噛んでくる猫が愛しかったです。
そこで奇跡が起きました。
少しづづ元気を回復し水を飲み、エサも食べました。
それから立ち上ってゆっくり動き回りました。
私に合って元気になったようです。
動物でも心がつながっていれば奇跡のようなことは起きるのだと思い知りました。

 


cat-sister

猫ちゃんとハッピーな毎日を過ごしている知人Nさんのお話
 飼い猫との嬉しくて楽しいひと時 一緒に寝られる幸せ

猫を飼っています。
多頭飼いなのですが、自分の部屋にも2匹の兄弟猫がいます。
大人の猫にいじめられてしまうかもしれないと思って、子猫時代からずっと6畳の部屋で過ごしています。
子猫の時からそういう環境なので、ストレスはあまり感じていないようです。
もちろん、キャットタワーを置いたり、日向で寝ることが出来るようにフリースを敷いたり、ベッドでも寝られるように毛布を敷いたり、ハンモックも猫ちぐらも用意しています。

寝るところはたくさんあるのに、夜になるとベッドに潜りこんできます。
それがなんとも幸せな時間で嬉しくて楽しいのです。
寒い季節は2匹で潜ってきます。
夏以外は潜ってくることがあります。
春でもまだ肌寒い時など、寝ようと思うとベッドに上ってかけ布団に頭を突っ込み、そこから侵入をします。
腕枕をしてあげることもありますし、中で丸まって寝ていることもあります。

1匹がベッドの中、もう1匹がベッドの上、ということもあります。
猫に囲まれて過ごすことが出来るというのはとても幸せなことだと思います。
癒しになる子たちですし、一緒に遊ぶことでストレスも解消されます。

朝になると起こしてくれるのですが、休みの日でゆっくりしたい時であっても、起こしてくるので大変です。
ゴハンが欲しいというアピールでもあるので、ゴハンをあげるまではかなりしつこいです。

いつまでも健康で元気に過ごすことが出来たらいいな、と思っています。
大事な命ですし、家族でもあるので、猫たちが出来るだけ快適に過ごすことができるように工夫をしたいですし、食事も喜んでくれそうなもの選んでいるときはとても楽しいです。
お金はかかってしまいますが、お金では買えないものを与えてくれる存在です。

時間がなくて一緒に遊ぶことが出来ないと猫もガッカリしていますし、体調が悪い時に寄り添ってくれる、そんな人の気持ちを察することが出来るのも猫らしいところなのかもしれません。一緒に寝られる幸せを十分に感じています。


一気に春めいてきましたね、気持ちも華やか

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春一番も吹きまして、もうすぐ春本番といったところでしょうか。
もうすぐ、桜が咲いて町の中もどんどん春の花が咲いて綺麗になっていくんだろうなと思うだけで心がワクワクしてきます。
そして、春は別れと出会いの季節なので日本のいたるところでドキドキワクワクしている人たち沢山いるので世間的にもソワソワしていう感じがします。
私は特にそんな別れと出会いの予定なくのんびりしたものです。
そして犬とお散歩をしていると、たまたま近所の高校で卒業式をしていました。
お花を手にして未来を見つめている若人たちをみるとこっちまで明るい気分になります。

そういう私もかれこれウン年前には高校生をしておりました。
しかし、殆ど高校の時の記憶がないです。
気持ち的には少女マンガのようなキラキラとした学校生活をエンジョーイしたかったですが、実際は地味でさらっと高校生活が終わりました。
たぶん、楽しいこともあっただろうけど記憶がものすごく断片的で少なくこれと言ったエピソードが思いだせないです。
高校生という多感な年ごろとあって写真も殆ど撮っていないので記憶を思い出す手掛かりがないんです。入学式も卒業式も一枚も写真を撮っていないのです。
今思うと、幼さと大人の女性が混じり合った貴重な時期の写真をもっと撮っておくんだったなと後悔しています。

とは言っても、やっぱり若いというのは素晴らしいけれど、若いからこその辛さもあったなと思います。
今だと、色んな人生あって色んな道があるから好きなことを思う存分して好きな道を躊躇なく選べばよかったなと思うけれど、当時はネットも今ほど普及していなかったので情報も限られていたから生き方の多様性というのが分らず、もがいていたところがあります。
たぶん、大人からしたら平凡ではある女子高校生が未来に向かって試行錯誤している様もまた輝いて見えていたのかなと大人になった今は思うようになりました。

でも今、私には子どもがいないのでそんな悠長なことを言っていられるんだと思います。
たぶん、自分の子どもが中学、高校と思春期だったらそんなことも考えている暇もなく毎日が騒々しいのだろうなと思います。
そんなことを、キラキラした高校生をみて思いました。
見ずしらずの子たちとはいえ、素敵な未来がきっと君たちには待っているよとエールを送りたくなりました。
お前こそ頑張れよ、と若い人たちに言われそうなので私も好き勝手に楽しいことをしていきたいです。


急病の猫を獣医に連れて行く為にペットタクシーを利用しました

猫ちゃん1匹とわんこ2匹に囲まれて幸せでちょっぴり大変そうなN田さんのお話

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我が家には10歳の猫が1匹、6歳の大型犬が1匹、3歳の小型犬が1匹います。
どの子もやんちゃで、しかも元気いっぱいなので可愛いのですが凄く体力を使います。

一番大変だなと思うのは、獣医さんへ連れていく時なのです。
贔屓にしている獣医さんは、家から車で2~3km程度という、割と近い場所にあります。
でも私は車の免許を持っているものの、殆ど運転しないペーパードライバーなのです。
家の前が丁度道路なので出るのが怖くて、それにカーナビがあっても道に迷ってしまうので、普段は全然乗りません。
いつもは夫が車に乗せて連れて行ってくれるのですが、ある時すぐに獣医へ行かなければならない事態が起きました。

それは10歳の猫が、突然お腹を下してしまったからです。
老猫なので食べ物や環境にも気を遣ったいたので、今までは何ともありませんでした。
完全室内飼いだったので怪我をする事もなかったのですが、その日は朝からずっとトイレへ行っては下痢をして、と何度も続いていました。
そんな状態が数時間続いて、段々動く気力もなくなってきてしまったのです。

すぐに獣医へ行きたいけれど車は夫が仕事で乗っていってしまったし、仕事中なので連絡がつきません。レンタカーを借りていくのも時間がかかるし、自転車も壊れている、電車は最寄り駅から獣医までが遠く更に時間がかかると凄く焦りました。
しかしそこでふと、ペットタクシーの存在を思い出したのです。

以前どこかでペットタクシーというサービスを耳にした記憶があり、すぐにネットで探して依頼しました。丁度予約が空いていて今すぐ来てくれるという事で待っていると、本当に10分で来てくれたのです。
猫だけしか乗れないのかと思いましたが、飼い主である私も一緒に乗り込んで獣医まで行けました。

診断結果は、どうやら季節の変わり目で体の体温調節がついていかなかった事により、風邪を引いたようでした。
注射をしてもらって薬も貰って、その後は数日でまた元気になりました。
ペットタクシーは初めての利用でしたが、料金もkmによってですからとてもお得ですし、何より車内が凄く清潔でした。
他のペットの臭いがしないので、家の警戒心の強い猫も落ち着いて乗っていられました。

ペットタクシーは困った時に、本当に役立つサービスです。
これからも獣医やドッグカフェ、帰郷する際に等利用したいと思います。


白いポメラニアンの育て方と栄養バランスの良いドッグフード

miyoさんところの白のポメラニアンのお話

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私が飼っているポメラニアンの毛の色は基本的にはオレンジ色ですが、年齢を重ねる毎に時々黒い色の毛が混じるようになりました。
毛が伸びてきたら時々ペットショップでトリマーに毛を切って貰って、全体の印象として可愛さを増す事が魅力的です。
小型犬として様々な病気を患ってきたが、動物病院の医師のおかげで何とか元気に自宅で過ごしています。

私の友人が飼っている犬は私と同じ犬種ですが、飼ってから1年しか経過していないので、全身が白い事で斬新なイメージを有する事が特徴です。
友人のポメラニアンは全身が真っ白ですので、可愛らしさと清楚さの印象が強いと思いました。友人はペットショップで愛犬を購入したが、購入した時は20万円ほどの価格であった事を伝えました。
店舗では白い色のタイプだけではなくて、オレンジや黒色のタイプも販売されていたので、様々なペットを販売している店舗である事に言及していました。
ミックスのタイプでは無いので、友人は私に血統書を見せてくれました。

友人宅に伺った時に、愛犬の育て方に関して教えられた経験があります。愛犬が飼い主に手を出すなどの適切なしつけの行い方を見ていて、私の育て方と明らかに違う事に気が付きました。友人が愛犬に与えるドッグフードは胃腸に優しいウェットタイプのフードで、健康を維持する為に栄養バランスの良いドッグフードを与えていた事が参考になります。

友人が愛犬にしつけを行っている様子を見ると、トイレの場所の指示などはきちんと行っていましたが、無理に階段を登らせるなどの行動をさせていない事に気付きました。
ポメラニアンは全身から見れば胴体が非常に大きいが、脚が非常に細かいので、脚の大きな負担を考慮すると無理な運動はさせない方が良いです。
自宅に入る時などの上がり段は友人がしっかりと愛犬を持って上がっていって、丁寧にペットを取り扱っている様子を見て感動しました。
友人の白い愛犬は可愛いので、白いタイプを買いたくなる気分になります。


我が家の愛犬、コンブ。

転勤族のまみちゃんの愛犬(ミックス♀)コンブのお話

konbu
今年で10歳になるミックス犬♀を飼っています。
前に飼っていた犬を亡くし、軽いペットロスになり毎日寂しい思いをしていました。
そろそろ犬が欲しいなとインターネットで里親募集のサイトを見つけ、石垣島にある「わんわんクラブ」という捨て犬を保護している施設に出会いました。
捨てられていた兄弟達を保護したばかりで子犬が数匹紹介されていました。
その中の一匹を選び、施設に連絡を入れました。

東京在住ですがその時ちょうど沖縄で結婚式をする予定だったので、式が終わった後石垣島に旅行を兼ねて引き取りに行きました。産まれてから3か月くらいの子犬。
渡された時はすごく緊張していたのが全く動かず、何をしても反応もなく、声も出さず…と本当にシャイな子でした。数日を石垣島で過ごし、東京に戻りました。
滞在中もしかして声が出ないのか?なんて心配にもなったほど全く鳴かず、相変わらず固まったまま。散歩に出しても全然歩かなかったです。
自宅に戻った日の夜、私はスーツケースのロックをかける部分に思いっきり足をぶつけ出血しました。
衝撃が凄く血を見るのが苦手は私は本当に怖くて、旅の疲れもあったのか数秒くらい気を失って倒れてしまいました。
ふと目を覚ますと、自分から寄ってきてくれなかったコンブが横に寄り添って丸くなっていました。その時は本当に嬉しくて、やっと家族と思ってくれたんだ!と感激しました。
次の日から少しずつ散歩で歩いたりもしてくれて、顔を思いっきり舐めてきたりと初めて会った時とは全くの別犬のように思いっきり甘えてくれるようになりました。
でも可愛がるだけではなく、しつけもしないといけません。

ある日旦那さんの靴の中に大きい方をしていました。
漫画みたいで笑えるのですが、笑ったら喜んでもらえると勘違いしてしまうのでここは堪えて叱り、ペットシートに連れて行きここがトイレだと何度も何度も教えました。
いつの頃かトイレシートにする事を覚えたのですが、私のやり方が間違っていたのかトイレシートにするというよりも、そこの場所にするというように認識していた様子で数ヶ月後引っ越ししたら、こちらがここをトイレにしようと決めて置いたシートと全く違う所にトイレをしていました。
引っ越ししたてで戸惑ったのか、しばらくそういう事が続き、こちらから合わせてそこにシートを置いてもまたずれた所にする…という日が続きしばらくトイレには悩まされました。
コンブと出会ってからというもの、仕事から疲れて帰ってきても元気に向かい入れてくれる嬉しさや、普段なら用事がないと絶対に家から出なかったのに、散歩をしようと積極的に外に出たり、一緒に旅行に行ったりと行動が幅広くなりました。

飼い始めてからもう10年になりますがありがたい事に病気もなく健康でいてくれました。
前と比べ真っ黒だった毛も白い毛が目立ち始め、寝る時間も少し多くなりましたがまだまだ健康でいて長生きをして欲しいです。
犬がいる生活は具合が悪い時や忙しい時など大変な事もありますが、いつでも嬉しそうに迎えてくれるし、一緒にいるだけで本当に癒されます。


理想と現実。

これはうちの近所におられる方のお話しです。うちの3軒隣りにとても私の理想に近い事をされてる方がおられるのです。それは保健所などで殺処分される寸前の犬や猫を引き取って飼っておられるのです。今現在は約ですが、おうちの中に猫が18匹と外に大型犬が1匹と中型犬が2匹いてます。
その方は工場を経営されていて、その工場にも病気や怪我で目の離せない犬がいてるそうです。おうちの中には入った事がないのですが、外から見てると1階にも2階にもトイレの中さえも猫だらけで窓際で日向ぼっこしたり、毛づくろいしたりしてるのが見えます。外の犬達は毎日、家族が交代で散歩に行き餌をあげて掃除もされてます。
私は直接、お話しをした事がなくて、ちゃんとした現状を知りませんでした。
この前、7年前に亡くなったうちの猫のゲージを処分しょうと悩んでいて、その方にお譲りしょうと声をかけたのです。そしたら、「喜んで。」と引き取って下さいました。その際に初めて色々とお話しをして分かったのが。
①このおうちは犬猫の為で別にご自宅がある。
②この犬猫たちは他府県の保健所から来た。
③ほぼいつも、お世話を主にされてる奥さんは親の介護もされてる。
④ここに来た犬猫は全て避妊と去勢の手術を自己負担でされてる。
この話しを聞いて私は益々、すごいな~私の理想だなと思いました。
ただ、現実はそれだけではありません。犬の鳴き声がうるさいとか猫の匂いとか近所の方に対する配慮も必要で餌代や散歩などの労費と問題は山積みなのです。幸い、うちの近所の方たちは理解のある方がほとんどで苦情を言ったり嫌がらせをしたりする方はおらず、みんな、外の犬達に触れたりして仲良くやってます。多分、そのボランティアをされてる方の人柄なのでしょうね。
私はこれからも自分にできる範囲でその方を応援し続けたいと思いました。いつか、私もそうなりたいと理想を大きくふくらませています。
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オナガドリのカクノシン

面倒見の良いHiroちゃんが飼っていたオナガドリのカクノシンのお話

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あれは私が中学一年生の時でした。
一学期の終業式を終え帰宅すると家で母がギャーギャーとパニックに陥っていました。
小学四年生だった弟がオナガドリのヒナを拾ってきたからです。
小学校のプール脇にあるプラタナスの木にオナガドリが巣を作っていたらしく、そこから落ちてうずくまっていたヒナを掃除当番だった弟のクラスメートが見つけ教室に連れ帰ったそうです。
教室に連れ帰ったものの、小学校もその日が終業式。
教室で飼う訳にもいかずクラスの中で鳥を飼っていて、尚且つオナガドリのヒナを巣立ちまで飼える人を募ったそうです。
弟はそこに立候補したのです。
『一旦家に帰ってお家の人と相談してから』と言う先生の言葉にも『ウチは絶対に大丈夫です。』と無断で連れて帰って来たのです。

当時家で飼っていたのはセキセイインコ一羽。
オナガドリなんて飼った事などありません。

学校からは『もし飼うことが難しいのなら教員の中で探しますので』と電話を貰いましたが、元々好奇心旺盛な家族です。
この少し前からは父は病気で入院していて手術の準備をしていました。退院は二学期が始まってからの予定です。
つまりその年の夏休みはどこにも行く予定がなかったのです。
弟は終業式の一週間後から夏休みの間中、親戚の家に預けられる予定でした。
弟が連れて来たオナガドリのヒナは私と母が面倒をみることになりますが、滅多にない機会なのでヒナを巣立ちまで面倒をみることにしました。

ここで問題になってくるのは餌です。
オナガドリが何を食べるのか知らないのです。
当時は今のようにパソコンでちょっと調べるなんて出来ません。
以前セキセイインコでお世話になった獣医で電話をして事情を話、飼い方を教えて貰いました。
『飼う側が与えられるのであればミミズや虫、無理ならば九官鳥の餌をお湯でふやかして与えて下さい』と言われたので、迷わず九官鳥の餌を購入して与えてみました。
まだ自力で食べられる時期ではないらしく割り箸で餌を取ってくちばしに近づけると想像以上に大きな声で、翼を震わせながらアピールして食べてくれました。
ずいぶんとお腹を空かせていたようです。

満腹しておとなしくなると今度は糞の問題です。
巣を汚さない為の習性なのか、オナガドリを入れておいた靴の箱の淵に止まると外に向けピュッと糞を飛ばすのです。
これは野生の習性と諦めて箱の下に新聞紙を敷いて対応しました。
この日はもう次から次へと問題が生じては一つずつ解決法を考えて夜を迎えました。

翌朝です。
まだ陽が昇る前、漸く空が白んで来た頃から餌をねだり大きな声で鳴き始めました。
これは近所迷惑です。
とりあえず餌を与えて黙らせると、毛布をスッポリと被せ、もう一度寝て貰いました。
名前がないと不便と『カクノシン』と名付け、飼っていたセキセイインコの小屋にカクノシンを入れ、セキセイインコには移動用のゲージに移って貰いカクノシンの家も確保しました。

夏休みが開ける前に自宅から1キロ程離れた山にカクノシンを帰しました。
が、しかし。カクノシンは翌朝何事もなかったように自宅のベランダに戻って来ました。

なのでもう一度放鳥し、また帰って来るというループが暫く続きましたが、いつのまにかカクノシンは戻って来なくなりました。
きっと巣立ったのでしょう!! 感慨深いものがありました。


りんが花粉症❓❓まさか❕❕

この話しはもう5年程前の事なのですが、毎年、この時期(花粉症)になると思い出すので…。うちのりんが目の周りに人間で言う「ものもらい」のような出来物ができて、直ぐに治るだろうと様子を診ていたら、初めは片方の目だったのがいつの間にか両目にでき、痒いせいかかいてしまう為、流血して目が真っ赤になっていたりでこれはただ事ではないと直ぐに動物病院へ連れて行きました。
そこで先生から思わぬ診察結果が言いわたされたのです。「アレルギー性の可能性があります。」と。私はピンとこなかったのですが、先生に「花粉症や食べ物アレルギーのようなものですよ。」と。私はようやく、事態をのみ込めて…。「では、どうすれば❓❓」と先生に尋ねたら、「まず、人間と同じように何のアレルギーかを特定しない事には治療方針がきめられません。」と。
一口にアレルギーと言っても色々とあるようで花粉症のように木や花などの花粉から口にする食べ物からほこりなどの種類は何百種類があると聞きました。まず、一般的な20種類ぐらいの検査をするかほぼ全ての検査をするかで旦那さんと家族会議です。一般的な検査だと費用は5,000円ほどなのですが、ほぼ全ての検査をするとなると10,000円以上かかるのです。一般的な検査で分かれば良いのですが、それで分からなければ、結局、ほぼ全ての検査をしないといけないので費用は倍かかります。なので、私たちは他のアレルギーも見付かるかも知れないのでほぼ全ての検査をして頂く事にしました。
血液を採取して、1週間後、もう一度、動物病院へ検査結果を聞きに行きました。すると、何とりんのアレルギーは「稲」だったのです。(ほぼ、全ての検査をお願いして正解でした。稲は一般的な検査の中にはなく、他にアレルギーもなかったようです。)そう言えば、秋の稲刈りの季節に散歩に出かけた後に症状が出てきたような気がします。そこで抗体の注射をしてもらい、目の塗り薬も頂き、無事、1週間後には跡形もなく治りました。その後は抗体の注射が効いたのか稲刈りの季節になってもアレルギーは出ていません。
私は動物にも人間と同じようにアレルギー性があるんだなと初めて分かり、感心しました。
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ペルシャ猫とシャムネコと日本猫のMIX猫チャオの思い出

11年ほど前に我が家の家族の一員となった猫の話

私は小さい頃から大の猫好きで、常に猫達と共に成長しました。
多くの猫達との楽しい思い出の中で、一番甘えん坊で人懐っこかった猫が一匹います。
その猫の名前はチャオ。
今から11年ほど前に我が家の家族の一員となった猫です。
チャオは私の仕事関係の知り合いから譲り受けた猫でした。
チャオのお父さんは大きくて立派なペルシャ猫で、お母さんはシャムネコと日本猫のMIX猫でした。
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猫の里親になると決まった日、生まれて3か月の猫達に会いに行くと、チャオは兄弟猫4匹と共にコロコロと遊びまわっていて、その可愛らしさときたら本当に猫好きにはたまらない愛らしさでした。
チャオは兄弟猫と比べて一回り大きく毛並みもモコモコで、おっとりとした感じだった為かまだ里親が決まっていないとの事でした。
私は一目見てチャオを気にいり、知り合いにお願いして家族に迎えることになったのです。
我が家にはその当時8歳になる雌の先住猫がいたのですが、少々気の強いところもありチャオと上手くやっていけるかなと心配していましたが、案の定先住猫はチャオを軽く威嚇してしまい、驚いたチャオはすぐさま私の後ろに隠れるように駆け寄ってきました。
その姿が何とも可愛くて今でも印象に残っています。
その後、我が家に来た時期が子猫だったと言う事もあり、先住猫とは大きなケンカをする事もなく上手くやっていたと思います。
チャオは本当に人が大好きで、私がチャオと声をかけると嬉しそうに前手をモミモミしだし、ゴロゴロ言いすぎて鼻の穴が塞がってしまうほどでした。
夜、私がベッドに入るとチャオはすぐに私のお腹にのってモミモミしながらお休みの挨拶をして、私の隣で気持ち良さそうに眠っていました。
家にお客さんが来るとすぐに顔を出し、しっぽをピンと立てて挨拶してくれるのでお客さんにもとても可愛がられ、皆のアイドル的存在だったと思います。
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そんなチャオですが、自分に注目が集まらないと少々不満気になるところがあり、私がパソコンをしていると常に邪魔をしにきたり、雑誌を見ていると見開き部分にドカッと座ったり、本で爪をといでビリビリに破いてしまったりと言ったちょっと困ったところもありました。
しかしその後は申し訳なさそうな顔をして私の方を見上げるので、ついつい甘くなり許してしまう日々でした。
このままずっと続くと思っていたチャオとの幸せな日々ですが、9歳を迎えたある日に体調不良で病院に行く事になりました。
家族皆でチャオと一緒に2か月間頑張ったのですが、残念ながら病は改善する事無くチャオは猫天使になってしまいました。
何故病気になってしまったんだろう、私がもっと気を付けていたらと後悔の念は後を絶ちませんでしたし、早すぎるチャオの死に暫くは何をしていても悲しい思い出が胸をよぎり不意に涙が出る毎日でした。
あれから2年、今は少しずつですがチャオとの楽しい日々を思い出す事が出来る様になりました。
チャオと名前を呼んだ時の嬉しそうな顔は、今でも昨日の事のようにはっきりと覚えています。
チャオとの楽しい思い出を一つ一つゆっくりと思い出し、いつかは悲しい思い出を超えられるようになるといいなと思います。


1年に1度の恐怖の1日・・まろんが・・

年末にもブログでお話ししましたが、まろんとりんが生まれた時から通っている動物病院の院長先生が一身上の都合で突然、病院を辞められたのです。りんはどの先生でも平気なのですが、まろんが怖がりでどうしょうもなくその院長先生以外には触らせる事も出来ないくらいで・・ヒドイ時には悲痛な声をあげておもらしをするくらいなのです。
もちろん、そんな思いをさせるのが可哀想と言う気持ちもあるのですが、その一方で見て頂いてる先生に申し訳なくて。
そして、遂にその日がやってきました。
そこの動物病院は自宅から車で40分近くかかる遠方だし、この機会に近くの動物病院へ変わろうかと散々、考え、調べた結果、やはり、元の動物病院でお世話になる事にしたのです。運命の新しい先生のとのご対面…30代半ばの女の先生でちょっとぽっちゃり体系で優しそうな雰囲気の方でまろんも何もなかったかのようにその先生に身を委ねて診察、注射、お話しとスムーズに終わりました。もちろん、りんも何の問題もなく終わりました。
あんなに心配していた私は何だったのかと思うくらいあっさり、終わりました。
きっと、新しい先生が優しくてまろんもりんも気に入ったのでしょう。
ところがその新しい先生は非常勤の先生で普段は他府県の動物病院に勤務されてる為、週に1回の水曜日のみなのです。いざ、緊急事態の時はその先生の勤務されてる他府県の動物病院まで車で1時間半かけて行かなければなりません。「いざ、緊急事態」がまろんとりんに起きなければ、1番良いのですが。
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