2016年07月 一覧

子猫と子犬を久々にお迎えしまして

「ムツゴロウ王国」みたいなお友達のペット事情(*^_^*)
プリント
わが家にはペットが7匹いました。
犬が1匹に猫が5匹、そしてウサギが1匹という、いろんな人にそれを話せば「ムツゴロウ王国みたいね」と言われるくらいの大所帯です。
一番年上の猫のことを考慮して、去年はもう増やすまい(保護とかもあまり考えない)と主人と相談していたのですが。

これも運命なのか出会いなのか、子犬の里親募集のサイトを観ていた主人が「どうしようか」と打ち明けてくれました。
見た感じは普通のダックス。しかしこの子には片腕がありませんでした。
そのためかなかなか貰い手がないらしく、下手したら保健所行きになるという恐ろしいことが待っていたそうなんです。
片腕がない以外は健康で可愛らしく、しかもものすごく人懐っこいダックスくん。
とにかく可愛らしい。うちにいるチワワもずっと犬では独りぼっちなので、そろそろお友達が出来てもいいかなという気持ちもあり、とりあえず会ってみようということになりました。

この時点では会ってみて、しばらく考える時間をいただこうと考えていました。
しかし相手(里親さん)も私たち夫婦に懐くダックスくんを見て、そのままよろしくお願いしますということになったんです。

本当にいきなりで急なお話。
そのつもりではあったんですが、突然渡されて正直どうしようという気持ちはありました。
まずはケージや水を飲ませるものや食器はどうしようかと。
しかし全部揃うんですよ、我が家は。
以前迷子の犬を保護した時に購入したものや、懸賞で当てたケージなど。一気に全て揃ってしまいました。
ある意味怖いものなしの状態です。後はこのダックスくんが慣れるまでと思っていたら。

翌日にはすでに慣れ家の中を難なく走り回り、先住のチワワとすぐに仲良くなっちゃいました。
来たばかり一週間くらいは片腕で走るのも大変そうだったけど、徐々に上手に走り回れるようになり、わが家に来て約3か月経った今では先住のチワワと並んで走れるまでに成長しました。
ハンデなんてお構いなし!元気いっぱい成長してくれています。

このダックスくんがだいぶわが家に慣れてきたある日、今度は主人が職場で子猫を保護したので飼えませんか?と聞かれたそうで。
子猫と言っても、ようやく卒乳したくらいの本当に小さな子で、この子も保健所行き一日前だったそうなんです。
それを聞くとなんだか捨てておけなくて。
主人から「どうしようか」のメールをもらった数秒後には「ソフトゲージ準備して待ってる」と返信していました。

先住猫5匹います。でも、みんな子猫の時に我が家に来てお兄ちゃんお姉ちゃんがしっかり親代わりをしてお世話してくれたから大丈夫かなと、少し厚かましい願いだけど思いました。
きっと仲良くしてくれるだろう、犬たちも噛んだりはしない子たちだから安心はしています。

その小さな子猫が来た時はみんな半径1メートル以内には近づかなかったんですが、徐々に近づいて行ってにおいを嗅いだりしてくれました。
翌日には毛づくろいをしたり、危ない場所に行かないように見守ってれたりと、すぐに仲良くしてくれました。
この子もこんな深い愛情のおかげか、わが家にきて約2週間たった今では倍の大きさになっています。
もうお兄ちゃんお姉ちゃんに混ざってごはんも食べるし、犬たちとじゃれて遊んだりもしています。

まだ子犬のダックスくんとこの子猫は似たような境遇だからか仲が良く、よく一緒に遊んでいます。
今はダックスくんの方が大きいけど、数か月後には変わらないくらいの大きさになろんだろうなと思うと楽しみで仕方がありません。

どちらもたくさん食べます、そしてよく遊んでよく眠って甘えてくれます。
もちろん先住の犬猫ウサギも。飼い主として本当に嬉しいことです。
これからもたくさん元気いっぱいで、長生きしてほしいですね。
毎日バタバタして大変だけど、本当にこの子たちに出会えてよかったです。


私の猫のイメージを変えた1匹の猫 アメリカンショートヘアーとの出会い

猫好きのHさんが猫のイメージを変えたアメショとの楽しい日々を語ってくれました。

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もう亡くなってしまったのですが、以前飼ってた猫は猫と思えないほど犬っぽい性格をしていました。
3歳ごろの時に里親として譲ってもらいました。
成猫を引き取るのは初めてだったので少し不安があったのですが、杞憂に終わりました。
引き取った猫はアメリカンショートヘアーという種類の猫で、繁殖用に使われていたのが捨てられてしまい、保護された猫でした。
それまでに猫を飼っていたこともありますが、良くも悪くも猫らしい性格をしていて、気に入らないことがあれば容赦なく引っかかれて腕はいつも傷だらけになっていました。

引き取った猫は最初こそ家具の裏に隠れてしまいなかなか出てきてくれなかったのですが、少しずつ慣れてきて寄ってきてくれるようになりました。
半年も経つと元から家に住んでいたようにすっかり馴染んで、毎日窓辺で気持ちよさそうに日向ぼっこをしていました。
この猫が今まで飼っていた猫と全然違うところは、人間が大好きだということでした。
人を見ると尻尾をピーンと上に伸ばし、ゴロゴロ喉を鳴らしながらすり寄ってくるのです。

猫と言うのは家に入ってきた見知らぬ人に対しては逃げ回るものだと思っていたので、お客が来た時にもゴロゴロいいながらすり寄る姿を見て、その猫をみたお客は「こんななつっこい猫は見たことがない」と口を揃えて言っていました。

また、今までの猫は現金で食べ物が欲しいときはとってもしおらしく愛想を振りまいていたのですが、この猫はただ単に入ってきて、勉強している私の肩に乗っかりそこで落ち着いてしまっていました。
身動きが取れなく重いので大変でしたが、肩の上でゴロゴロ言っている猫を見ると、もう少し乗せておいてやるかという気持ちになるものでした。

それまでに飼っていた猫たちはまだ室内飼育が推奨される前の猫たちだったので外にも散歩に出ていたので、狩りの戦利品(虫など)を誇らしげに見せられて困惑することも多かったのですが、引き取った猫は猫の野生本能というものを無くしてしまったらしく、金魚鉢の中の金魚にも一切手を出すことがありませんでした。

それどころか、中の金魚そっちのけで水だけペロペロと舐めていました。
ハムスターも飼っていたので普段は猫と隔離していましたが、ハムスターを猫に見せても興味を示さず、逃げていってしまうほどでした。
もしも野生に放たれたらエサを取れなくて死んじゃうね、と家族で笑っていたものでした。

動物病院に連れていくと怖がってニャーニャー鳴いていましたが、診察が終わって抱っこをしてあげるとゴロゴロと喉を鳴らし、動物病院の先生からも「病院でゴロゴロ言う猫は珍しいね」と言われました。
晩年になると体のあちこちが悪くなってしまっていたので自宅で皮下輸液をしていたのですが、普通の猫なら暴れて暴れて仕方のないことをニャーニャー鳴きながらも耐えていてくれました。
この猫はどんなに怖くても痛いことをされても決してシャーとかフーッと威嚇したり、引っかいたり噛んだりすることがなかったのです。

元は繁殖用として飼われていて捨てられてしまったので人間に対して不信感を抱いても仕方のないものだと思うのに、人間を嫌うことなく素直に懐いてくれました。

それまでに飼っていた猫たちも猫らしい性格で攻撃的なところがある分、たまにゴロゴロ喉を鳴らしていた時はとても可愛らしく感じていましたが、引き取った猫は私が猫に抱いていたイメージを大きく変える存在になりました。
猫は自分の死期が近づくと人から離れ、暗く静かな場所に移動すると言われています。
それは自分の落ち着く場所に行き、体調の回復を図るからといわれていますが、引き取った猫は最後の最期まで人の傍にいることを選びました。
私の傍がその猫の落ち着く場所であったんだなと思うと、嬉しい気持ちになります。


家族として迎えた捨て犬 ヨークシャテリアのハク

白のヨークシャテリア「ハク」との出会い

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その犬との出会いは祖父が犬を飼いたいと言い出したことから始まりました。
飼っていた犬が亡くなり意気消沈していた祖父が「気持ちの整理がつかない。新しい家族を迎え入れたい」と言い出しました。

私たちはそんな祖父の言葉を聞き、快諾。祖父のために犬を探し始めました。
私たちはペットショップなどを周り、母は動物愛護団体へ相談しに行きました。
母が行った動物愛護団体の施設でその犬と出会いました。
白に少し銀色が混ざった推定8ヶ月のメスのヨークシャテリアでした。

祖父も私達もその犬がとても気に入り、その子を連れて帰ることにしました。
連れて帰り、早速名前を決める会議が始まりました。
弟や妹も集まり、皆色々な候補を出してきます。
日本ぽい名前や横文字のかっこいい名前。何時間経ってもなかなか決まりません。

しびれを切らした祖母が、「白い犬なんだから、ハクでいいんじゃない?感じで書くと白だよ。この子にぴったりないい名前じゃない?」
祖父も私達も「ハク!いいじゃん!それにしよう!」「お前の名前は今日からハクだよ!」と大喜びでハクに話しかけていました。

ハクの性格は人懐っこく犬見知りもしない、愛想のいい犬です。
そんなハクはうちに来てからは来客者にも愛想を振りまき散歩中にも愛想を振りまき、すぐにご近所犬とも仲良くなった様子でした。

トイレも早い段階で覚え、愛想を振りまきすぎて散歩中に誰かに付いて行く事以外は全く手のかからない犬です。
当時私の部屋は2階に位置していたのですが、私が仕事から帰るとハクは玄関まで来て私が2階の部屋に上がる時には一緒についてきてご飯の時間まで私の部屋で遊んでたりしました。

通常ハクは1階で祖父、祖母と共に寝ていたのですが、たまに夜になると祖父達の部屋を抜け出し、2階の私の部屋まで上がってきたりしていました。
上がってきて部屋の扉が開いていないと、扉を爪でカリカリしたり、それでも起きないとクンクン鳴き出すのです。

私を起こして扉を開けてもらったハクはご満悦で部屋に入り私とともに寝るという事が週の半分くらいありました。
なぜ、毎日じゃないのかはハクにしかわかりませんが、その日の気分なんでしょうね(笑)

私が仕事が休みで家にいる時は、たまにお昼寝もしていました。
初夏なんかは窓を開けてそよそよ吹く風にあたりながらハクとお昼寝することは、私も大好きでした。

ハクは私と一緒に寝る時はなぜか股の間の膝らへんで必ず寝ます。
足を閉じることができないので、他の場所にハクを移して寝ようとしても、必ずその場所に来ます。
それはいいのですが、犬も夢を見ることがあるんでしょうか?
たまに、ハクは寝言みたいな鳴き声を出したり、夢?の中で喧嘩をしているのか突然私の太ももを噛んだりしていました(笑)
噛まれた痛みで私も飛び起きて私が飛び起きたことでハクもびっくりして飛び起きる(笑)みたいなことが何度もあり、いい思い出として私の中に未だにあります。

今では、私は祖父の家を離れ飛行機の距離で一人暮らしをしています。
ハクと過ごした時間はそんなに長くはないですが、私の中ではもう一人妹ができたみたいな存在でした。
たまに会いたくなる時があります。そんな時は妹や弟に頼んでハクの写メや動画を送ってもらったりします。

私のケータイの待受けやSNSのプロフィール画像はハクだったりします。
何度見ても飽きないくらいの美人さんで時々人間みたいな顔をするハクが大好きです。
今度地元に帰った時は祖父の家に泊まりに行こうかと思います。
半年に一回は帰るのでそんなに会ってないことはないですが、祖父の家に泊まりに行かないとハクとは一緒に寝れないですから、、また寝言を聞いて足を噛まれに行きたいです(笑)


人間の気持ちがわかる猫

犬や猫やいろいろなペットって本当にかけがえのない家族ですね~
Aさんが猫ちゃんと暮らした大切な思い出を語ってくれました。

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昔家で飼っていた猫のお話をしようと思います。
その猫は私が小さいときからずっと一緒に暮らしてきた猫です。
すこし大きくて真っ白で凛としてとてもきれいな猫でした。
小さい頃私が熱を出して寝込んでいたりするといつも横に来てくれました。
普段はお母さんと一緒に寝てるんですが私が風邪をひいたときはずっと私のそばを離れないでいてくれました。
今でもその時の記憶が残っています。
隣にいてくれる時もすごくかわいかったんですが私が一番かわいいと思った瞬間はマタタビをあげたときです。
ゴロゴロと喉を鳴らしてすりすりしてくるんです。
マタタビ食べてないときもたまにしてくるんですがマタタビをあげるといつも以上に寄ってくるんです。
その姿が本当に可愛かったです。

私のその子の不思議な所は普通の猫ちゃんはお腹とか触られるのを嫌がるんですがうちの猫ちゃんはお腹を触られるのが大好きでした。
お腹を撫でてあげると喉を鳴らして喜んでました。
その時の私は猫のことにあまり知識がなかったので他のお家の猫に同じことをしたら怒られました。

基本的にお腹は嫌がるみたいですね。
猫を飼ってる途中で犬を一匹飼うことになったんですが最初はうまくやっていけるか心配だったんですけど喧嘩などしないで仲良く過ごしてくれました。
猫が犬のお母さんみたいになっていて猫のまねを犬がしてたりあとをついていったり見ててすごくほほえましかったです。
ちゃんと主従関係を作ってるのがすごいなって思いました。

困ったのは脱走しちゃうところです。
元々家の猫は野良猫だったみたいで外に興味があるのか少し油断するとすぐ脱走しちゃってました。
初めて脱走した時はすごい焦りました。
このまま帰ってこなかったらどうしよう、二度と会えないのかななど色々考えてました。
玄関の前にご飯を置いてみたりもしたんですけどなかなか帰ってきませんでした。
ある朝目を覚ますと何故か猫がいました。
お母さんに経緯を聞くと夜中玄関の前で猫の鳴き声がして玄関をあけたらいたと言っていました。
見た瞬間本当に安心しました。
それからも何回か脱走してたんですが頭がいいのかそのたびちゃんと帰ってきてくれまいした。
事故とかの心配とかもしてしまうのでなるべく注意をしていたんですがほんの一瞬の隙をみて飛び出てました。
これが唯一困ったところです。

あとはあんまり困ったところはありませんでした。
病気にもあまりならずに元気に過ごしてました。
私が大きくなって学校から帰ってきて少し落ち込んでいたりすると喉を鳴らして近くに来てすりすりしてきたりしました。
やっぱ動物は人間の気持ちわかるんだなって実感しました。
家の猫の最後は老衰でした。

大きい病気をせず20年ちょっと生きてくれた事にびっくりしました。
私は10年ぐらいしか一緒に過ごせなかったですけどでもすごい色々なことを猫から教わりました。
一緒に猫じゃらしとかで遊んで楽しかったことや心配する気持ちなど本当に色々教えて貰いました。
最後は亡くなる悲しさを教えて貰いました。

亡くなる悲しさや苦しさを最後の最後に教えて貰いました。
よく猫はなくなる直前に家から脱走すると言いますがうちの猫はこの時脱走しようとしませんでした。
多分脱走してたら私は生き物が亡くなる悲しさや苦しさをわからなかったと思うので脱走しないでいてくれてよかったです。
私の家ではそれからも犬や猫を飼ってます。
みんなそれぞれ性格が違うので学ぶことはつきません。
あとはペットがいることによってすごい癒されたりもするのでペットと暮らす日々は本当に楽しいです。

今私は一人暮らしをしているんですけどたまに実家に帰って日々の疲れをペットに癒してもらってます。
少し遊ぶだけで本当に癒されます。


愛すべきボクサー犬との思い出

知人のYさんが愛すべき家族「ボクサー犬」との思い出について語ってくれました。

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亡くなってから15年ほどが経ちますが、私が実家住まいだったときに飼っていた一生忘れないボクサー犬について記します。
私の父は外資系の航空会社に勤めており、とてもグローバルな人でした。
そんな父がオーストラリアの友人からボクサー犬を譲り受けることになったのです。
私が中学生くらいのときのことでした。空路だったと思いますが、長い旅の末に実家に生まれたばかりのボクサー犬が到着しました。
子犬でしたがとても興奮していたのを覚えています。
後から知ったことですが血統書付きの由緒ある犬だったそうです。

新しい家族を迎えての生活が始まりました。
子犬の時代が思い出せないくらいにあっという間に成長して大柄な犬になりました。
私は中学生から大学生にかけて、良く散歩に連れ出しましたが色々と苦労することもありました。
私の身体は痩せているほうでさほど屈強でも無かったので、散歩時に引っ張る力がとても強くて制御するのが困難でした。
特に猫を見ると異様に興奮して急に突進を開始するので腕がちぎれそうな思いで引き留めることがしばしばでした。
また、よだれがものすごい量だったのと、体臭がキツめでした。
夏場などは暑いので全身シャンプーなどをよくやりました。

そして、躾け方を何か誤ってしまったのか、お手やお座り、食事のときの待たせる、といったことに対してあまり言うことをきかなくなりました。
そんな状況ですので利口な犬という雰囲気はほとんどありませんでしたが、家族は皆愛情を持って接していたと思います。

私の実家は当時、周囲が山に囲まれており、手つかずの自然が結構残っていました。
そのため、散歩をさせることには困ることがありませんでした。
人が居ないときに離して自由に遊ばせていたのですが失敗したこともあります。

一つには興奮してどんどん山の奥の方に入っていってしまい、幾ら声を上げて呼び戻そうとしても一向に出てきてくれなかったことです。
また、他人の畑に侵入して農作物をほじくり返そうとしたことです。
このときは慌てて叱りつけました。
一番の失敗は同じく離して自由に遊ばせていたときに、山道から降りてきた人のほうに向かっていったことです。
とても犬が嫌いな人だったようで、「畏怖させるとは何事だ!」といったようなことを言われて怒らせてしまいました。
こうした失敗はありましたが、うまくすれば自由に遊ばせることが出来る環境だったのは良かったと思っています。

月日が経つのは早いもので、私が大学を卒業する頃にはすっかり老犬になっていました。
最初から知っていたわけではありませんが、ボクサー犬は寿命がせいぜい10年ほどだとのことで7~8年くらいで急速に老化していったことを覚えています。

以前は凄まじい好奇心とエネルギーで活発に動き回っていたのですが、歳を取ったことで急速に行動量が減ってしまったように思います。
歳を取ってからの散歩で困ったのが、道路の真ん中で排泄をしてしまうことです。
こういったことは若い頃は見受けられず、きちんと指定した場所でやってくれていました。

人間の一生に比べると、犬の一生はとても短いことを実感しました。
私はそのまま大学を卒業して社会人になりましたが、社会人になってからあまりにも仕事が忙しく、平日は全く散歩をしてあげられることが出来ませんでした。
父も妹も働きに出ていたので母が日中の世話を一人でしてくれていました。
亡くなる年の夏が猛暑で、深刻に衰弱をしてしまったことがあり、母が献身的な看病をしたことで何とか夏は乗り越えられたのを覚えています。
結局、その夏を乗り越えた冬に亡くなりましたが、私は仕事があまりに忙しくて死に目に立ち会うこともできませんでした。
会社もペットの死に対する休暇取得には決して理解を示さないような風土でした。

今振り返っても私の人生の中でも人間の家族以外で最高の家族でした。
色々と腕白なところがありましたし、上品さには欠けていましたが、気が弱くてとても心が優しい犬でした。

あの健気な姿は忘れらせませんし、亡くなる直前のあの寂しそうな眼は今でも忘れられません。
そして寿命が短いからこそ、1日1日を大切に接してあげることが必要でした。
死に目にそばに居てやれなかったのは悔やまれますが、今でも私の思い出の中にはあの頃の幾つかのシーンが鮮明に蘇ります。