知人のYさんが愛すべき家族「ボクサー犬」との思い出について語ってくれました。
亡くなってから15年ほどが経ちますが、私が実家住まいだったときに飼っていた一生忘れないボクサー犬について記します。
私の父は外資系の航空会社に勤めており、とてもグローバルな人でした。
そんな父がオーストラリアの友人からボクサー犬を譲り受けることになったのです。
私が中学生くらいのときのことでした。空路だったと思いますが、長い旅の末に実家に生まれたばかりのボクサー犬が到着しました。
子犬でしたがとても興奮していたのを覚えています。
後から知ったことですが血統書付きの由緒ある犬だったそうです。
新しい家族を迎えての生活が始まりました。
子犬の時代が思い出せないくらいにあっという間に成長して大柄な犬になりました。
私は中学生から大学生にかけて、良く散歩に連れ出しましたが色々と苦労することもありました。
私の身体は痩せているほうでさほど屈強でも無かったので、散歩時に引っ張る力がとても強くて制御するのが困難でした。
特に猫を見ると異様に興奮して急に突進を開始するので腕がちぎれそうな思いで引き留めることがしばしばでした。
また、よだれがものすごい量だったのと、体臭がキツめでした。
夏場などは暑いので全身シャンプーなどをよくやりました。
そして、躾け方を何か誤ってしまったのか、お手やお座り、食事のときの待たせる、といったことに対してあまり言うことをきかなくなりました。
そんな状況ですので利口な犬という雰囲気はほとんどありませんでしたが、家族は皆愛情を持って接していたと思います。
私の実家は当時、周囲が山に囲まれており、手つかずの自然が結構残っていました。
そのため、散歩をさせることには困ることがありませんでした。
人が居ないときに離して自由に遊ばせていたのですが失敗したこともあります。
一つには興奮してどんどん山の奥の方に入っていってしまい、幾ら声を上げて呼び戻そうとしても一向に出てきてくれなかったことです。
また、他人の畑に侵入して農作物をほじくり返そうとしたことです。
このときは慌てて叱りつけました。
一番の失敗は同じく離して自由に遊ばせていたときに、山道から降りてきた人のほうに向かっていったことです。
とても犬が嫌いな人だったようで、「畏怖させるとは何事だ!」といったようなことを言われて怒らせてしまいました。
こうした失敗はありましたが、うまくすれば自由に遊ばせることが出来る環境だったのは良かったと思っています。
月日が経つのは早いもので、私が大学を卒業する頃にはすっかり老犬になっていました。
最初から知っていたわけではありませんが、ボクサー犬は寿命がせいぜい10年ほどだとのことで7~8年くらいで急速に老化していったことを覚えています。
以前は凄まじい好奇心とエネルギーで活発に動き回っていたのですが、歳を取ったことで急速に行動量が減ってしまったように思います。
歳を取ってからの散歩で困ったのが、道路の真ん中で排泄をしてしまうことです。
こういったことは若い頃は見受けられず、きちんと指定した場所でやってくれていました。
人間の一生に比べると、犬の一生はとても短いことを実感しました。
私はそのまま大学を卒業して社会人になりましたが、社会人になってからあまりにも仕事が忙しく、平日は全く散歩をしてあげられることが出来ませんでした。
父も妹も働きに出ていたので母が日中の世話を一人でしてくれていました。
亡くなる年の夏が猛暑で、深刻に衰弱をしてしまったことがあり、母が献身的な看病をしたことで何とか夏は乗り越えられたのを覚えています。
結局、その夏を乗り越えた冬に亡くなりましたが、私は仕事があまりに忙しくて死に目に立ち会うこともできませんでした。
会社もペットの死に対する休暇取得には決して理解を示さないような風土でした。
今振り返っても私の人生の中でも人間の家族以外で最高の家族でした。
色々と腕白なところがありましたし、上品さには欠けていましたが、気が弱くてとても心が優しい犬でした。
あの健気な姿は忘れらせませんし、亡くなる直前のあの寂しそうな眼は今でも忘れられません。
そして寿命が短いからこそ、1日1日を大切に接してあげることが必要でした。
死に目にそばに居てやれなかったのは悔やまれますが、今でも私の思い出の中にはあの頃の幾つかのシーンが鮮明に蘇ります。