お友達Sさん家のペットは小鳥さん達です。
私が小学3年生から4年生になる頃の春休み、ちょうどお昼ごろでした。
母が父から電話を受けて、「え、九官鳥って。他にもいるの。まあ、いいんじゃない。」と言っている声が聞こえました。
子供のことで、深く考えもせずにその日は過ぎ、次の日の朝に姉妹があわてて私を起こしに来ました。
「玄関のところで変な声がするよ。」と。
子供ばかり3人で恐る恐る階下に降りて玄関を確認すると、3つの鳥かごが置いてありました。
1つには真っ黒に見えるハトくらいのクチバシがオレンジ・頭のまわりに黄色いピラピラのついた鳥、1つには桜文鳥、最後のカゴにはオレンジ色のカナリアが入っていました。
「変な声」はこの九官鳥が「オハヨー」「キューちゃん」としゃべっている声だったのです。
興奮した私たちは鳥かごの回りを取り囲んで、さっそくこの「キューちゃん」に「おはよう」と言ってみました。
無視です。黒いキラキラした目でじっと私たちを見ながら小首をかしげています。
父の取引先であり、個人的な友人でもあった人が「子供が大学生になって、忙しいとかで世話できなくなったから」と父に「鳥、飼わないかな」と言ってきたそうです。父は「子ども達の相手にいいだろう」と気軽に引き受けて連れてきたのでした。
「車の中でずいぶんと文句を言われた」という九官鳥は、十姉妹とセキセイインコしか扱ったことのない私たちにはちょっと怖い見かけでした。
姉も妹も拒否、でも私はこの「しゃべる不思議な鳥」にいっぺんで魅せられてしまったのです。
私が責任を持って世話することになった九官鳥は、まともなおしゃべりは「オハヨー」「コンニチワー」と「キューちゃん」だけでした。
後はヒヨドリの声・バイクのエンジンの音・自転車のブレーキ・ガレージの扉が開く音・私の口笛がレパートリーに加わっただけです。
それでも慣れない手つきで世話をする私に親しみを感じてくれたのか、そばにいると延々と話しかけたり口笛を吹いたりして呼びかけてきました。
バナナが大好き・ブドウも上手に食べます。
当時一緒に暮らしていた母方の祖父のことも大好きなようで、祖父が帰ってくると「コンニチワー」と大騒ぎしていました。
寡黙な祖父もこのみょうちきりんなおしゃべりやが可愛かったのか、「はい、こんにちわ」といいながら相手をしていました。
このキューちゃん、選挙のときにまわってくる候補者の街頭演説カーも好きでした。
「候補者の○○でございます。」の声が聞こえると、ベランダで日向ぼっこしながら「コンニチワー」と叫びます。
宣伝カーの人々が、支援者に挨拶しようと姿を探すと、「バカタレー」とひとこと。
こんな悪口の言葉、どこで覚えたのかと言うくらいはっきり発音します。
たまたま洗濯物を干しにベランダにいた母が思わずあわてて家の中に駆け込んだくらいで、キューちゃんと遊んでいた私もあわててシーツの影に隠れたのです。
そんなおかしなキューちゃんと暮らしたのは私が10歳から20歳になるまでの10年間です。亡くなる日の朝、止まり木から落ちた状態でうずくまっていたのを、抱きしめて息を引き取るまで泣きながら座っていました。
最後に2,3回うなずくように首を動かしてからすっと身体が軽くなって動かなくなりました。
それ以来、九官鳥を飼うことはありませんが、鳥はいつもそばにいます。
当時はキューちゃんは一生のほとんどをカゴの中で過ごした文字通り、カゴの鳥でした。
でもいろんな鳥と暮らしてから、「管理をきちんとすれば、手乗りじゃなくてもカゴから出してあげていい」ということがわかります。
自由に遊ぶことのできなかったキューちゃんに「ごめんね」と言う意味でもその後の鳥たちは私の部屋で自由に遊んでいます。